プー横丁の家

tarusworld2006-02-12

 最近、この曲を2〜3日前からずっと聞き続けています。バージョンは様々で、ロギンス&メッシーナのスタジオ&ライブバージョン。ニッティ・グリッティ&ダート・バンドのライブバージョン(LIVEしか持っていないので)。
 聞いている理由は、多分ノスタルジーに浸るという感覚ですね。歌詞の重要な部分をかいつまんで言うと、くまのプーさんが好きだったあの頃に帰りたい。ということだろうと思います。
 先ごろ生死の境(少し大げさですが、本当に死ぬと思いました)をさまよってきて、現世に引き戻された時に、体にたまった忌まわしい物すべて吐き出し清くなりたい思いました。だから、純粋だった頃に戻りたいと歌われるこの曲がここ2〜3日の精神状態のところへふっと入り込んできたのでしょうね。

  • プー横丁の家はいつでもそこにあります。戻ろうと思えばいつでも戻れるんです。でも大人は誰も戻ろうとしない。でも時々人はふっと懐かしがってプー横丁に戻ってくるのです。


今日は、会社の同僚の家に行ってきます(これを書いているのが午前1時です)。理由は霊前に手を合わせてくるのが目的です。実は私が入院している間に彼は心筋梗塞で突然亡くなっていました。そのため通夜にも告別式にも出席できませんでした。

彼は、3つくらい年上で、私の目の前の机に座って仕事をしていました。スポーツマンで健康そのものといった人物で、はっきり言って私とは正反対の性格で、あまり気の合うほうではなかったのですが、亡くなってから、彼が、引っ込み思案の私の背中を押していたのでは?と思い出すことがあり不器用な彼のやさしさ(他にも本来は私の作業だった処理を黙ってやっていたり)だったのかなと思う部分がいくつかあります。本当はそうじゃなかったかもしれませんが、そう思うことにします。

病気がちで生命の危機を2度(1度目は1998年に)、経験している私が元気に生きているのに健康そのものだったその人が突然亡くなってしまう。不条理というかなんと言えばいいのか・・・

今日の夜もう一度更新します。
霊前に手を合わせてきました。奥さんいわく、自覚症状はあったようです。人間ドックに行く予定もしていたとか・・・回りは何も気づいていませんでした。ただ、奥さんが意外と元気で、周りや息子達、それに仕事が助けてくれたと話されていました。

遺影を見たときそれまでぼんやりしていた彼の死を現実の物に昇華できた気がします。私はがんばって生きていかなくては・・・

  • プーにはいつでも会えます。彼のことを思うだけでいつでも会えるはずです。彼のことを忘れてさえいなければ・・・